COLUMN 06 -華やかなりし頃の想いを綴る- 切りビロードの世界

ビロード

ビロードは「天鵞絨」と書き、ポルトガル語のveludoに由来するパイル織物の一種です。
十六世紀に南蛮貿易で鉄砲を包むビロードがポルトガルから我が国に渡来したのが始まりと言われ、織田信長や上杉謙信はこの珍しい織物に魅了され、マントとして愛用しました。江戸時代初めの正保、慶安の頃に我が国でも織ることが出来るようになり、江戸時代は粋人の衣裳として好まれました。特に江戸時代末期には滋賀県長浜はビロードの最大産地として栄え、大正から昭和初期にはコートや羽織、ショールなどの生地に使用されて女性のあこがれの商品となり大流行しました。
戦後はその製織技術の難しさから、ほとんど生産されなくなり、いまでは滋賀県長浜と京都府丹後加悦町で僅かに製織技術が残り織られています。

パイル 1 [pile]

(1)織物の地組織から突き出て布の表面をおおっている輪奈(わな)や毛羽(けば)。
タオルの輪奈・ビロードの毛羽など

「ビロードの種類と製造技術」

ビロードには、輪奈のままのものを輪奈ビロード、パイルを切ったものを切天(切りビロード)といいます。
「輪奈ビロード」とは針金を織り込み織り上がった後、その針金を引き抜いて輪奈(ループ)を作る織物で、昭和初期までは京都の西陣や滋賀県長浜地区で数多く生産されていましたが、パイル状にする為の極細の針金の製作が難しいことと、複雑な準備工程が必要なため、現在では長浜でごく僅かしか生産されていません。
また最近では針金の替わりにポリエチレンフィラメントを使用して極小の輪奈を作り、友禅染も可能なビロード生地も発明されています。
一方、「切りビロード」には針金を引き抜く前にパイルを切る有線ビロードと三重組織の織物の経糸をナイフで切断して毛羽立たせる無線ビロードがあります。
無線ビロードの「切りビロード」製造技術は戦後、一旦消滅しましたが、昭和40年代に京都府加悦町で製造技術の復元に成功し再び織ることが出来るようになりました。しかしながら切断には極めて繊細な技術が要求されるため今でも僅かしか製作されていませんが、多様な柄と染色が可能なため最近では再びコートや帯の生地として用いられるようになりました。

「紫織庵」では、京都府加悦町染色センターの協力を得て無線ビロード製造技術の保存継承に努め、フィラメント使用の極小輪奈パイル地を使用し、戦前の華やかな型友禅染を施したコートや長羽織、染名古屋帯、帯締、バッグ、鼻緒、子供用被布など製造しています。
特に、軽くて暖かく、しわになりにくいビロードコートは11月下旬から春先まで着用でき、フォーマルからカジュアルまで幅広く着用出来る点で他の素材より優れたお洒落度の高いコートとして高く評価されています。

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