京のじゅばん&町家の美術館として一般公開されている紫織庵

江戸後期、寛政・享和の時代、典薬まで昇進した名医・荻野元凱がこの地で初めて医院を開業し、明治時代までその子孫の医院と門弟の教育所として使用されて来ました。

大正15年、室町随一の豪商・四代目井上利助氏が元凱時代そのままに、最新のライト様式のモダンな洋間を加えて新築し、昭和40年より平成9年まで、川﨑家の本宅兼迎賓館として引き続き使用されていました。

応接間

建物は洋館部分を日本の近代建築の父と呼ばれる武田五一が、茶室や和室部分を数奇屋の名工 上坂浅次郎が設計参与し、敷地240坪に、茶室、サロン洋館、玄関棟、2階建て主屋、便所、浴室、2棟の蔵からなり、京都の伝統的な「大堀造」建築の代表例です。

特に主屋2階にも洋間を設け、和風の中に洋風を巧みに取り入れた建築様式や凝った造りの茶室、主屋座敷の東山三十六峰をモチーフにした竹内栖鳳の欄間など近代建築としての京町家の貴重な歴史資料となっています。

現在、京都市指定有形文化財及び京都府医学史研究会史跡に指定されています。

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冬の小庭

「祇園祭」と「屏風祭」

古代平安京に蔓延した疫病や災害の退散を祈る祇園御霊祭が始まりとされる祇園祭は、応仁の大乱以降、都の復興にかける町衆の心意気とエネルギーとなって江戸時代から今日に引き継がれてきました。
京都の祇園祭は単に7月17日の山鉾巡行だけでなく、宵山に山鉾町の人々が、町家の店の間に屏風を立て巡らし、親戚知人を招いたり、通りを歩く人たちに見せる習わしがあります。
これを一般に「屏風祭」と言い、町家で飾られる秘蔵の屏風や道具は長い歴史の中で培ってきた京都の人々の美意識の豊かさを示しています。
「紫織庵」では一年を通じて祇園祭期間中と同様の「屏風祭」を再現し、公開しております。

財団法人八幡山保存会

玄関・一階洋間

玄関は3ヵ所あり、客人用・家人用・使用人用と使い分けられていました。
一階洋間は武田五一(京都帝国大学建築学科初代教授)がフランク・ロイド・ライトの建築を参考にして設計し、旧帝国ホテルと同様の外壁の石灰岩とタイルが貼られています。内部は濠天井に寄木貼り床、電熱式暖炉を設け、内装の木部はすべてチーク材が使用されています。
屋上は祇園祭の山鉾巡行を見るための当家専用の「鉾見台」となっています。

玄関・一階洋間

茶室

明治から大正期にかけての数奇屋の名工 上坂浅次郎が手がけた茶室で、前庭に位置し、長四畳の小間で、下座床を構え、点前座には北山杉の中柱が立ち、雲雀棚が特徴です。
炉は台目切で、入口は2枚障子の貴人口があります。

茶室

広緑

広緑のガラス戸はすべて建築当初の「浪打ちガラス」で、一枚も破損していません。

一階客間・仏間

15畳と12畳半の和室。15畳の和室は付書院・床の間・床脇(天袋・地袋)を備えた、当家で最も格式の高い部屋で、正客を迎える部屋として利用されてきました。
客間と仏間の境の欄間は日本画家 竹内栖鳳の作で東山三十六峰をモチーフに桐正目の一枚板で彫刻されています。

一階客間・仏間

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二階広間「長襦袢友禅資料室」

「錦紗織」「古浜ちりめん」などに友禅や刺繍加工を施した、明治時代から大正時代にかけての長襦袢や下絵などを展示しています。
きものの裏地や長襦袢の、最も華やかな時代から現代に至るまでの歴史をご覧下さい。

二階洋間サロン

20帖の洋間で、暖炉・ステンドグラスをはめ込んだ窓・シャンデリア・数木細工の床・鎌倉彫りの壁など、大正時代の贅を尽くした造りとなっています。

二階洋間サロン

蔵

切妻造本葺2階建て土蔵が敷地西側に2棟並んで建っています。
北側の大きい方の蔵は、桁行4間・梁間3間半で道具類や建具を入れ、南側の小さい方の蔵は桁行2間・梁間3間で日常の使用品や食料品を貯蔵しました。

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紫織庵見取り図